先述したように、チョコレート嚢胞を摘出した場合、しばしば再発することが問題となっています。
当科では未婚者など、術後早期の妊娠を希望しない症例に対して再発予防目的に黄体ホルモンを長期投与する試みに2005年より取り組んできました。
術後早期(2週間以内)から黄体ホルモン剤;【1】プロべラ(メドロキシ酢酸プロゲステロン;1日5~10mg)或いは【2】ディナゲスト(ジエノゲスト;1日2錠)の服用を開始し、妊娠が可能となるまで続行します。
服用中は排卵が抑制される結果、無月経となりますが、服用を止めれば1~2カ月で月経が再開し、排卵が起こるようになります。
内服中、時に出血を認めますが、量が少量ならば治療効果に影響ありません。
これまで(2012年11月の時点)計63例に平均3年間、最長例では6年間超、治療を行いました。
幸いながら、投与例には再発を認めておりませんので、術後黄体ホルモン療法は再発予防に有効であると実感しています。
尚、プロべラ(メドロキシ酢酸プロゲステロン)は更年期障害に対するホルモン補充療法にも頻用されている黄体ホルモンですが、近年、心血管系疾患を多少増加させる危険性が指摘されています。
プロべラに少量含まれている男性ホルモンがどうも原因のようです。
内膜症世代の患者さんは更年期世代より若い患者さんばかりですので、まず心血管疾患の心配はないと思いますが、より安全に治療を受けていただくために男性ホルモン作用を含まない製剤(ディナゲストやデュファストンなど)に変更することを予定しています。
もちろん、黄体ホルモン療法中には定期的に採血検査(コレステロール、血液凝固能など)や乳癌検診を受けていただきます。
卵巣からは主として2つのホルモンが分泌されます。
一つがエストロゲンで、本来、女性にとってとても大切な働きを持っていますが、このエストロゲンが内膜症の発症や進行に重要な役割を演じています。
そしてもうひとつが黄体ホルモンで、排卵後に卵巣から分泌されます。
エストロゲンは子宮内膜に対して増殖促進的に作用します。
一方、黄体ホルモンはエストロゲンの作用を抑える効果、すなわち内膜の増殖を抑制する作用があります。
平たく言えば黄体ホルモンは内膜症を抑える効果があるということです。
実は1980年代には内膜症の治療として黄体ホルモンを投与することがよく行われていました。
当時は非常に大量(プロべラの場合、30~100mg;当科での処方量の約10倍です)を投与していたため、副作用が強く、やがて行われなくなりました。
ところが最近になって内膜症の治療には長期間の投薬が必要ということが理解されるようになり、黄体ホルモン剤が改めてクローズアップされるようになりました。
ディナゲストは最も新しい黄体ホルモン製剤で、むくみ・体重増加といった従来の黄体ホルモン製剤につきものであった男性ホルモン作用がないことが特徴です。
長期間でも安心して服用していただけます。
月経血は膣へ流れるだけと思っている人、多くないでしょうか?
実はほとんどの女性では卵管を介してお腹の中にも逆流しているのです。
子宮内膜症の原因はいまだ完全には解明されていませんが、月経血に交じって腹腔内に流入した子宮内膜が子宮や卵巣に生着して、病変を形成する可能性が考えられています。
一方、腹腔内に流れ出た血液は分解されて、最終的に鉄(Fe)となります。
最近の研究では腹腔内の過剰なFeが内膜症の発症や進行に関わっていることもわかってきています。
腹腔内への内膜組織の逆流やFeの過剰な蓄積を防止する、すなわち卵管を介する月経血の逆流を防止することが内膜症の再発予防になることは、術後に妊娠した場合(月経が止まりますから、当然、逆流はおこりません)やチョコレート嚢胞摘出と同時に子宮内膜焼灼術を施行した場合(内膜焼灼により月経量が激減するため、逆流もほぼ消失します)ではチョコレート嚢胞の再発がおこりにくいという臨床的事実からも明らかです。
黄体ホルモン服用中は基本的に無月経になりますから、腹腔内への月経血の逆流もほぼ無くなります。
黄体ホルモンのこういった効果も内膜症の再発予防効果に一役買っています。
月経を止めることは若い患者さんにとって抵抗があることかもしれませんが、内膜症の再発予防にとってはとても大切なことなのです。
服用を中止すれば速やかに月経は始まりますので心配ありません。
尚、黄体ホルモン療法中に大量の出血が続くようであれば治療効果が半減してしまうので、すぐに受診していただくことが大切です。
内膜症の患者さんでは病巣(異所性内膜)と子宮(正所性内膜)内に存在する内膜組織において黄体ホルモンの作用が減弱していることがわかっています。 この現象を子宮内膜症における黄体ホルモン抵抗性と呼んでいます。 病巣において黄体ホルモン作用が減弱すると局所でエストロゲン作用が優位になる結果、病巣の悪化をきたします。 正所内膜での黄体ホルモン作用の減弱は内膜細胞の増殖能や不死化を増長します。 こういった内膜細胞は月経時に腹腔内に逆流すると内膜症病巣を形成しやすいと考えられます。
黄体ホルモンが作用を発揮するには
が不可欠で、その結果、数多くの遺伝子の働きを調節しています。
内膜症では黄体ホルモンの作用が伝達される経路の幾つかに機能不全があるため、黄体ホルモンの作用が正常に発揮されないことが解明されつつあります。
なぜ黄体ホルモンの伝達経路に機能不全が生じるのかについては、どうもNuclear Factor κβ(NFKB)という因子が中心的な役割を担っていそうです。 NFKBは多くの組織では不活化状態にあり、炎症によって活性化されます。 一旦、活性化されると炎症・細胞の増殖・血管新生・浸潤・アポトーシスなどに関わる数多くの因子を誘導します。 重要なことはNFKBが一旦、活性化されると炎症を更に悪化させる結果、NFKBの活性化状態が更に持続する悪循環に陥ることです。 また、NFKBによって誘導される因子はいずれも内膜症の進行や発症にとても深く関わっているということも重要です。 実際に内膜症の患者さんでは、腹腔内や病巣においてNFKB活性が亢進しており、更に黄体ホルモンの伝達経路に直接的・間接的に悪影響を及ぼしていることがわかってきました。 このようにNFKBは炎症・細胞の増殖・血管新生・浸潤・アポトーシスなどに関わる因子を誘導して内膜症を増悪させるのみならず、黄体ホルモンの伝達を邪魔することによっても内膜症の進行に影響を及ぼしています。 一方ではNFKBは黄体ホルモン受容体作用によって、その働きが抑制されることもわかっています。 NFKBと黄体ホルモン受容体はお互いがお互いをけん制し合う間柄なのです。
内膜症という病気を黄体ホルモン受容体とNFKBの関係からみると、正常の状態では黄体ホルモン受容体活性とNFKB活性が均衡していますが、内膜症ではNFKB寄りに傾いている状態ととらえることができます。
恐らくこの傾きは内膜症が進行すれば進行するほど更に傾いていくものと思われます。
こういう状態では内膜症の治療として黄体ホルモン剤を投与しても、十分な効果が得られないことがお分かりいただけるでしょう。
では内膜症をより効果的に治療するためにはどうしたらよいのでしょうか?
答えは簡単です。 まずNFKB寄りに傾いている黄体ホルモン受容体とNFKBの関係を元のイーブンな状態に戻してやればよいのです。 では、黄体ホルモン受容体とNFKBの関係を元に戻すにはどうしたら良いのか…私は腹腔鏡下手術が最良だと思います。 手術により病巣を完全に除去し、更に腹腔内を徹底的に洗浄することにより腹腔内の炎症をとりきること、これがNFKB活性を抑える一番の方法です。 そして術後にもう2度とNFKBよりに傾かないようにするために黄体ホルモンを投与することが再発の予防になります。 こういう状態で黄体ホルモンを投与する場合にはより少量ですむということもご理解いただけるものと思います。
チョコレート嚢胞術後の再発予防になぜ黄体ホルモンが有効であるかをまとめると 【1】黄体ホルモン自体の抗内膜症作用 【2】月経血の腹腔内逆流の防止 【3】手術により一旦、正常化したNFKBとの関係が再びNFKB寄りに傾くことを予防する、ということになります。 かなり難しい話になってしまいましたが、おわかりいただけましたか?ご質問等あればいつでも婦人科までご相談ください。